ぶさうさブログ

兄を亡くした自死遺族、FTM夫の妻の立場がメインのブログです。時々ねこさん、映画、漫画、本、アドラー心理学(勉強中)、ダイエット、ギター(初心者)など。

AC(アダルトチルドレン)自助グループ

AC(アダルトチルドレン)の自助グループ


というものをネットで見つけた。


ACとは、家庭が家庭として機能していない家で育ち、親との関係の中でのトラウマ的なものや何らかの問題を抱えている人のこと。
もともとはアルコール依存の親に育てられた人のことだったそうだが、今はそれに限らない。


その自助グループは月に1度ミーティングを開催している、とのことで存在は知っていたものの半年ほど参加するか迷っていました。




その日が過ぎると


「あぁ~あ~~行かなかったな~~ぁ。よし来月行こう!!」



というのを5回ほど繰り返し



ある日思いきって参加してみました。



車で50分ほどの所です。



(参加したのはコロナ騒ぎになる前のことです)


※現在は開催を自粛されています。




(このブログはメモ書きを下書き保存だけしていて数ヶ月経ち、ようやく今アップしてます(´∀`))




開催されている方はカウンセラーの先生で、先生自身もACでいわゆる毒親育ち、ということでした。



自助グループとは当事者が運営しているものです。




(私が2ヶ月に1度開催している自死遺族の分かち合いの会も自助グループ。)





今でこそ私は自己肯定感も以前より高まって



本当の意味での元気!で過ごしています。



(無理矢理な元気でもなく、優越したいような元気でもなく、ただ穏やかな普通の元気)



なのであんまり被害を強調したり、被害者ヅラする気持ちはありませんし、



親を責めたいとかいう気持ちも今は小さくなっています。




ただただ起きた出来事と自分の気持ちを書いていきます。





今は私の地元の隣の街に住んでいるんですが、
2017年から2年弱の間、
相棒の地元で少し離れた所(新幹線で2時間半ほど)に住んでいました。



前々から私は「生きづらさ」を感じていましたが、



その引っ越しを境に何日も涙が止まらなくなり、その時はもう死ぬことしか考えられなくなっていました。



私はカウンセリングを受けに行きました。

そこでアドラー心理学をベースにしたカウンセリングを受け、衝撃まではいきませんが、なにかしら手ごたえみたいなものを感じた覚えがあります。



(以前受けた心療内科や精神科のカウンセリングは全く役に立ちませんでしたから。)



そこで私がアドラー心理学を学ぶきっかけになりました。


カウンセリングを受けたり、学ぶうちに




「うち(実家)はおかしかったんだな」



「私は親や兄弟から否定されたりバカにされたり、気分で振り回されたりして育った。」



自分で「自分なんか消えたらいい。誰も必要としていない。」と思っている。



という事に気づいた。(先生に直接言われたわけではないです。)


というか、認めた。



殴る蹴るなどの暴力はなかったです。



父はアルコール依存で、仕事の昼休憩で家に帰ってきては缶ビールを2~3本飲みまた仕事へ行っていた。


ダンプカーやユンボを運転する仕事です。


その酒を買うのは母でした。



父は、シラフの時はあんまり喋らない人。

酒が入るととんでもなく陽気になる。

酔っぱらって帰ってくると、絡んでくる。

ハグをしたがったし(すごい気持ち悪かった)、私や姉がお風呂に入っていたらいきなりバーーン!!と開けて「ウヒャヒャヒャ!」と楽しそうにしていた。


(それから絶対にお風呂の鍵をかけていたけど、なんか頼りない鍵で力ずくで開けられそうだったので、お風呂はササーッと入ったり、父が帰って来ないうちに!!と急いで入ったり、父が寝てから夜遅く入ったりしていた。
お風呂はいつも安心して入れなかった。)


父は家にいるときはずーーーっとテレビを見ながらずーーーっと酒を飲んでいた。


リビングを通る時は父の席のすぐ横を通らないといけないのだが、その時いつも私のお尻や股間をタッチしてきた。

そのタッチした手を嗅ぐ真似をして
「クッサ~!!」
と言われるのがいつもだった。

(死ぬほど嫌でした。)


何か言うと大抵、否定的でした。
まっとうな会話をした覚えがありません。

何かを要求すると、父が一方的に怒鳴って終わりというのが多かった。


ただ、機嫌が良いときに

「筆箱ほしい」(´・∀・)

と可愛く言うと買ってくれていました。(笑)

末っ子の特権を利用していたので、特に姉からは嫌われて、嫌がらせをたくさん受けました。



父が兄と姉には蹴りを入れていたのを見たことがあります。


私が中1の時から飼っていた柴犬には、ちょっと吠えるとすかさず竹刀で何度も叩いていました。


それから父は自分のおしっこを柴犬に飲ませていました。


本当に嫌で嫌でたまりませんでした。


私は竹刀で叩かれそうな柴犬をかばったら、


父が吸っていたタバコを腕に当てられそうになったことがあります。


根性焼きをするふりをしてビビらせて楽しんでいたんでしょう。


エピソードはまだまだあります。






母は普段優しくて気弱な人。


しかしスイッチが入ると癇癪を起こし、誰にも手がつけられなくなり言葉は通じなくなる。リアル般若。

私のランドセルや教科書や漫画なんかを我を忘れてぶちまけて「出ていけ!!!!!」
とわめき散らしていたのを

兄(小6か中1)が弱々しくも「もうやめとき」と言っていた記憶がある。



そのスイッチが何なのかが分からず

いつも母の機嫌をみていました。


起きたら第一に母の機嫌チェック、学校から帰ったら母の機嫌チェック、というかんじ。


家族で外食した時に父からスカートをパンツごとをずり下ろされた時、恥ずかしくて死にそうになっていた私を母は笑っていました。

兄と姉も笑っていましたが。


母は昔働いていましたが、鬱になったりして働けなくなり専業主婦になりました。


祖母(父の母)との同居のストレスをすべて私を怒鳴ったりして八つ当たりしていました。





子どもの時はそれが普通でした。


おかしいとか、悲しいとかすら思わなかった。

もちろん楽しい時もたくさんありました。


ただなんかピリピリした空気感でした。



殴られたり、必要な物を買ってもらえなかったりすることはなかったので(私は)

目に見える虐待ではなかった。




祖父(父の父)は私が産まれる1ヶ月前に家の車の中で練炭自死したと聞いています。

私の兄は2011年に自死で亡くなってます。

私が子ども時代のことを思い出す時、兄が1番この家の問題を感じていたのかなーと思うこともあります。





読んでくださりありがとうございます!!

続きます。