ぶさうさブログ

兄を亡くした自死遺族、FTM夫の妻の立場がメインのブログです。時々ねこさん、映画、漫画、本、アドラー心理学(勉強中)、ダイエット、ギター(初心者)など。

突然いなくなった兄③


兄が自死で亡くなってから、8年と半年が経ちました。


正直に言うと、兄が亡くなった事件の前後は明確に覚えていません。


覚えていなかったり、忘れていたりするのは、ある程度の時間が経過したからなのか覚えていたくないから思い出さないようにしているのかは分かりません。


たぶん、人それぞれだと思っています。



私の場合、自死遺族の分かち合いなどで自分の体験を話すときに、ある程度まとめて大ざっぱに話すのでその毎回話す部分だけを強調して覚えているのかもしれません。


「突然いなくなった兄②」の続き


2011年8月末に、東京の兄の勤務先の上司の方から自宅に
「10日間ほど無断欠勤している」
という連絡が入ってから。


母が
「東京へ行きたい」
と言ったので迷わず
「行こう」
と言い、翌日の9月1日に2人で新幹線で東京へ行きました。


実家から東京は日帰りだとしんどい距離です。(1泊でももったいない。)


母は1人で新幹線も電車も切符を買うことすら「自分でできない」と思い込んでいる人だと私は思ってます。


余計に私は
「母を支えなければ」
と思い込んでいました。


いつでも、自分の気持ちは後回しにしていました。





東京、兄のアパートの最寄り駅に着き、その上司の方と合流。

歩いて10分ほどだったと思います。
兄の部屋に3人で訪ねました。


暑かったことは覚えています。



チャイムを何度か鳴らしても、反応はなし。
ノックをしても、母と私が呼びかけても何も返事はない。



私は「中で死んでたら………」と思っていました。
もちろん、口には出しません。


あんまり反応が無さすぎるので、不動産屋へ行って事情を説明し、鍵を借り中に入ることに。



私はある程度覚悟をしてドアを開けました。


部屋は、汚くもないし生活感がないわけでもない。
服とか書類なんかは雑に置かれているが、散らかっているほどでもなかった。



部屋には誰もいない。
じゃあお風呂で……トイレで……死んでいるかもしれない…。


生きた心地がしなかった。


でも、今この3人しかいないなら、私がやるしかない。

もしトイレやお風呂のドアを開けて、体があったら………救急車か?警察か?
救急車を呼ぶ必要があるのか?いやいやまだ分からないんだから救急車だよね。

などと頭の中で、遺体を発見した時に自分がやるべきことをシュミレーションしていた。




今、この文章を打っていると、普段忘れていることが結構鮮明に思い出してきた。

半分私は、刑事ごっこみたいな感覚でいた。

名探偵コナンの真似ごとの感覚だった。




結局、トイレにもお風呂にもロフトや服がかかってる奥とかにも、何もなかった。



トイレやお風呂のドアを開ける時の感じは、今でも生々しく覚えている。


覚悟を決めて(本当はそんなに覚悟はなかったと思う)バッ!!!と勢いで開けた。

何もなかったんだけど、あの感覚はなんと言えばいいんだろう?




脳ミソが凍った
 

脳ミソが固まった


自分が人間じゃなくなった、感情がないなにかになった


違う次元へとんだ




適切な表現はないな。


とにかくものすごく恐ろしいんだけど、恐ろしいと感じることもストップしたいくらい恐ろしかった。


自分がここにいる意味も訳も分からくなった。


それでも同時に、119を押すことや母へのフォローを考えていた。




カウンセリングなんかで、辛いこと(トラウマのようなもの)を思い出して癒していくようなものがあるみたいだけど、
あんなもん思い出すようなもんじゃない。



続く