死を受け入れる描写に心打たれる
アニメでの
「死を受け入れる」
「死を覚悟する」
観るたびにそのシーン、表情、静けさに胸を打たれます。
幅広く観ているわけではないのでほんの一部のアニメですが、個人的にその作品の一番印象に残る部分の一つです。
『天空の城ラピュタ』
※ここに書いているセリフは覚えている限りですので、少しずつ違うと思います。
終盤、玉座の間(ムスカによると)にて
銃を持ったムスカからシータが飛行石を奪い、パズーに一旦預けた後シータとパズーが再会するシーン。
「シータと二人きりで話がしたい」とムスカに頼むパズー
それに対し「3分間待ってやる」とラスボスにしては優しい(?)猶予を与えたムスカ。
しかしこれが致命的なミスとなりましたね。
殺す気マンマン、銃弾を補充しているシーンのブラックさが良いね!!!
この時点でシータとパズーは死を覚悟しているのだろうか?
少し前に、シータは「パズー来ちゃダメ!どうせこの人は私達を殺す気よ!」と言うシーンがありますが、この時には自分は助からないという(もしくは犠牲になる)予感が伝わります。
その前にも「ここはお墓よ、あなたと私の。」とハッキリ言ってもいますね。
ラピュタの兵器のパワーを目の当たりにして事の重大さを感じ、併せて王族の名を受け継いだ運命を受け入れ、「身をもってしてでもこの人を止めなければ」という結論か。
なんという決断力。
しかしムスカとシータでは体格、武器、経験(どんな経験かは分かりませんがムキムキですよねムスカ、相当強そうです)
など差があるため「犠牲にならないと到底かなわない」ですよね…。
一人で、のどかな所で、ただ暮らしていただけのシータ。
王族ということが分かったからといって奢ることなく「地に足をつけて暮らす」ことが結局一番良いんだ、と主張するシータ。
なんとう悟り…(涙)
パズーを巻き込みたくないとしていたけれど、
中盤のパズーのセリフ「シータが空から降りてきて、わくわくした。素敵な冒険が始まるって。」
そんな事をキラキラした目で言っていたパズーだけど現実は綺麗なことばかりでない冒険、
でもパズーはその現実も即座に受け入れ、滅びの呪文を使うことを選んだ。
無事ではいられない覚悟は、これ以前にとうにしているのかもしれない。
それともそんな覚悟うんぬんではなく、「目の前のこと」「目の前の人」に一生懸命なだけかもしれない。
とにかく一人で生きてきたしたたかさ、柔軟さをシータとパズーから感じました。
同時にどれだけ淋しい思いもしてきたのか?と想像すると悲しくもなります。
そんな背景があってこその「死を受け入れるシーン」に心動かされました。
「おばさんたちの縄は、切ったよ」
このシーンが一番好きかもしれない…。
中盤、ドーラの「40秒で支度しな」シーン
僅かな時間しかないにも関わらず、鳩たちを逃がすために時間を割いているところ。
終盤「おばさんたちの縄は、切ったよ」
それをきちんとシータに伝えてあげるところ。
もうこれ書いている今泣けてきましたよ。
何十回も観ているのに、泣けます。
パズーの優しさに。
それを数秒で表現する駿さんスゴイっす。
私が子どもの頃はこの一つ一つのシーンは一瞬すぎてこんなにピックアップすることはなかったですね。
「目がぁあぁああ目がぁああ」
「バルス!!!」
とかいう分かりやすい描写しか意識して
なかったですねやはり。
ここ数年はドーラも大好きです。
まとめ
全シーン大好きです(笑)
直接的な表現ではないことが、より伝わり、胸を打つんだなぁと感じました。
説明口調になったりセリフが多すぎると萎えることが多い。
一見分かりにくいことほど、奥深い。
あぁーーまた観たくなってきた。観よっ!(笑)
読んでくださり、ありがとうございますm(__)m